「いつだって、傍にいた 1」マスダカオリ

本日の語り手、マスダカオリさんはヨガのインストラクターです。兵庫県西脇市・多可町を拠点に、ヨガ・ゆらぎ体操の教室やイベントを主催しています。そんなマスダさんは留学やヨガ旅など海外経験が豊富。なかでも中国に滞在していた期間を「暗黒期」と回顧します。事の始まりは、とある男性との出来事 ―― 「出会ったのは28歳。30歳くらいで別れ、44歳で再会して……」。さらに、宿願の成就や大転換的LOST体験を詳らかにするマスダさんの語りは、コロナ禍、ストレスフルな生活を「自分らしい呼吸」で過ごすヒントも満載! 5月上旬、咲き誇る夏椿を背景にお届けします。

 

プロフィール

マスダカオリ
Yogaとゆらぎ体操 インストラクター

もっと自由に
もっと自分らしく生きる。

ヨガを始めたい
あなたのために
私はいます

ハワイの短大とアメリカジョージア州の大学を卒業
帰国後、日本で英会話教師、ホテル勤務、貿易事務 他 を転々と

中国で日本料理店で勤務

昔は旅人 今は自由人

今の目標は地元の自然を活用して、大人も子供も元気に生きられる世の中を創造していくこと

声のイントロ


 

ぴたりとハマったヨガ

こないだ黒川さんに、数霊※のこと、ちょっと話したじゃないですか。
※数霊(かずたま):日本の神道、特に古神道において、数に宿る霊のこと。あるいは、数に宿る不思議な力のこと。数魂とも書く。 出典/「数霊に秘められた宇宙の叡智より数秘術」深田剛史

 ―― 名前と生年月日から、いろいろ分かるそうですね。

あれで私、「まっしぐらの人」って出たんですよ(笑)

 ―― マスダさんは、真っ直ぐな人じゃなかった?(笑)

真っ直ぐじゃない、「まっしぐら」(笑)間違った道でも、突き進んでしまうらしい。

 ―― ご実感が?

まさにって感じです(笑)

 ―― マスダさん、いつヨガを始められたんですか?

30代前半、中国に2年間住んでたんですが、その頃に。中国時代は、私の人生の最悪期なんですが……(笑)

 ―― 悪い方角にまっしぐら……?(笑)

そうですね(笑)「生きてるだけでいいんちゃう……死ななければ……」ぐらいの不貞腐れた時代でした。

 ―― 一体なにが……

中国に行って1年目に体が悪くなりました。気持ちも壊れかけてたから、向こうで誰と出会っても「なんか騙されそう……騙されてる……」みたいに思うし、実際に物は盗られるし、ろくなことがなくって。

 ―― 踏んだり蹴ったりじゃないですか。

せっかく中国にいるので書道を学びたかったけど、書道の教室が1つもない(笑)

 ―― そこ……本当に中国でした?(笑)

(笑)そうこうしているうちに、ある建物で体操をしてる人を見かけたんです。「しょうがない、体操でもするか」と思って。

そこにヨガとエアロビを教えてる先生がいて、ヨガをしてみたら「いいやんこれ!」ってハマったんです。それがスタートですね。

 

 

 ―― 運動する習慣はあったんですか?

いやぁ、まったく。学生の時も動いてないし、強いて言えば通学の自転車。だから自分のこと「運動ができない人」だと思ってました。ただ、ヨガは「運動やスポーツとは違う」っていう感覚が最初からあって。

 ―― 「体操でもするか」から始まったのに(笑)

ヨガだってしんどいし、筋トレもあるけど、たとえば呼吸法とか……私は個人プレイの人生だから、自分ひとりで自由にできるっていうところも好きで。

それで1年ぐらいかな……2年ぐらい中国に行ってたから、残り半分の1年でなんとなく、その先生のヨガのレッスンを受けてました。

 ―― ヨガを本格的に始めたのは日本ですか? それとも海外?

日本です。中国でヨガを始めたころ、西脇で大洪水があったんですよ。長雨が続いてて、自宅が半分浸かったんですね。

うちの弟、その時地区の消防団の団員で、人助けに出て、自分が低体温症になって。西脇の友人から連絡があったんですよ。「あなたの弟が病院に運ばれた。死ぬかもしれん」って。

で……次の日、香港から乗れる飛行機で朝一番に飛んで、帰ってきたらもう、そこいらじゅう泥まみれ。

弟は重体らしいし、自宅もどうなってることか……と恐る恐る家に帰ったら、「おかえりー!」って。

 ―― 明るい出迎え?!

みんなでお茶、飲んでいた(笑)たしかに泥まみれで、家のなかも泥や水でぐちゃぐちゃだったけど、私その頃も汚ぁーーーい中国の田舎町に住んでたので「この状態、あまり変わらないな」って感じでした。

 ―― 弟さんは病院だったんですか?

退院してましたよ(笑)一時、本当に危なかったみたいですけど、私が戻ったときには元気。一応、皆無事でした。

ただ……それからやっぱり片付けが大変でね。洪水しちゃうと、使えないものがいっぱいあって、いっときにまとめないと行政が処分してくれないでしょ? それから3ヶ月……4ヶ月ぐらい、片付けしてたのかな。

当時、私は中国で仕事をしてたんですけど、「これはいい機会だ。日本に帰ろう」って。

それまでは意地を張ったところもあって。中国語は喋れるようになってないし、住んだだけの成果も出せてない。でも、洪水になって、「ここが潮時なんだろうな」と納得できたんです。

 ―― まさに水に流すですね……帰国して、したいことはありましたか?

「ヨガを一生しよう。自分のために一生しよう」って気持ちだけ。その決意を連れ帰った感じでした。2004年ぐらいですね。

 

西脇市で、大きな水害があったんですね。知りませんでした。
自宅はね、いまだに臭いとこは臭い(笑)
いまだに?!
1回、家に水が入ると、いろんなところに砂とかゴミがたまるんです。壁を塗り替えたり、家具を買い換えたりしない限り、ずっと砂が出てきて。

 

「ヨガ、教えて」と頼まれて

 ―― 「ヨガを一生続ける」と言っても、場所や講座を探す必要がありますよね?

まず、ヨガのインストラクター資格を取ることにしました。それで、あちこちに問い合わせたんですけど、「今いっぱいです」とか「春からだったら」とかって断られて。

 ―― タイミングが合わなかったんですね。

ただ、1件だけ。大阪の天王寺に「明日からでもどうぞ」って言ってくれるスタジオが見つかりました。「いつでもどうぞ」みたいな感じで。

 ―― どんな教室だったんですか?

竹刀を持った院長先生がいるような教室(笑)

 ―― 竹刀?!

教室自体は、お洒落な雰囲気なんですよ。ただ、インストラクター養成コースは結構なんか……古い体質のところで(笑)

 ―― いくら古い体質とはいえ、竹刀は……(震)

体罰を与えるとか、カルト的な教えで洗脳するとか、そういう危ないヨガではないですよ! もちろん竹刀だって、実際には使わない。

 ―― バシっとやられないですか?

やられません(笑)先生は場をひきしめるために持っておられたと思います。教室の空気が緩いときは、もうどなられっぱなしみたいに教えられる時もあるし、院長先生がみんなの体に触れて癒してくれる時もあり。

そういう飴と鞭……「愛と厳しさで教える!」という感じが、私には丁度良かった。そのスタジオにはコロナ禍で通えなくなりましたけど、それまでは日本に帰国してからずっと、月に一度はお世話になるくらいに。

 

 

そうこうしているうちに、西脇のお友達から「ヨガ教えて」って言われたんです。インストラクター資格を取るまえだったし、「お金は取れへんから、練習でならええよ」ということで、市内の無料スペースを借りました。

そしたら「私も、私も」って教えて欲しい人が集まってしまって……本当はヨガのポーズがいっぱいできたり、試験に合格したりしなければインストラクターって名乗れないし、教えることもできないんです。

だから、ヨガの先生に「どうしたらいいでしょう」と相談しました。

 ―― 先生は、なんと?

「まず3つポーズがしっかり教えられるなら教えていい」という話をしていただきました。

 ―― どんなポーズですか?

3つではレッスンの間が持たないので、もちろん一通りベーシックなものを教え始めました。

合掌礼拝法(太陽礼拝ともいう)のパターンがいくつかあり、それを一語一句覚えてやったり、猫のポーズのバリエーション、ねじるポーズ等、何度も繰り返し教わっていた内容を、まずは先生のまねで教えられるものを取り入れました。

猫のポーズ、よつばいになって背骨全体を丸くしたり反らしたりする、ヨガポーズの定番の動き。呼吸をしっかり吐ききりながら頭から尾骨まで丸まったり、吸いながら両手でしっかり床を押しながら背中を反らせ胸を広げ見上たりする動き。これは姿勢矯正や自律神経を調える効果があります。

 

 

そういうことで、先生からも許可を得られ、ヨガを教え始めました。最初のうちは1回500円。受講しやすかったんでしょうね、最初から10人、20人って生徒さんが集まってくれました。

 ―― 大所帯ですね!

ヨガとは関係がないアルバイトや自宅の片付け、大阪のヨガ教室通いの傍ら、自分でもヨガを教える機会が持てて、すごくいい勉強になりました。

インストラクターの資格を取ったのは、それから1年後くらい。いまも勉強を続けてます。

 ―― どんな形で勉強を?

多くのヨガインストラクターは、インドに行ったり、何らかの流派に属したりされます。私はそうではなく、大阪の先生のところへ通うほかに、興味のあるヨガの講習に行ったり、話題の先生のワークショップを受け、ヨガ関連の本も沢山読みました。

あとはもともと海外旅行が好きだったので、旅行に行った先のヨガスタジオで、いろんなヨガを受けて。

 ―― インストラクターや国、環境によって様々なスタイルがありそうですね。

楽しいですよ! 本当に楽しい。世界中のスタジオを訪れたり、色んなスタイルのワークショップを受けるのは、旅行スタイルとしても超おすすめです。そのとき、自分が必要としている人に会えるし、ネットワークも広がります。

 ―― 体験型のツアー、楽しそう……

何がいいかって、いろんな人とコミュニケーションを取りますよね。心のもやもや……嫌なこと、乗り越えられないことを口に出して、話し合う機会が、自然にできるんです。私はこういった経験によって大人になれた気がします。

 

中国に行った理由 ~人生最大の別れ

 ―― そういえばマスダさん、なぜ中国に旅立ったんですか?

中国行きの理由……心の闇です(笑)

 ―― 闇? 差し支えなければ聞かせてください(笑)

中国に行く数年前、私の人生の中では最大の別れがあったんです。

 ―― 最大の、ということは……

相手を亡くしたわけじゃないんですよ(笑)でも、私はその人と一生一緒に、生きていきたいと思ってた。それがもう……ものの見事に振られるというか、捨てられた(笑)

それがあって、やけくそで、なんか……人生ってなくならない限り、続くじゃないですか?

だったら「やり直す」のではなく、名前も変えるぐらいの勢いで、なんか「別人になろう」みたいな感じで。中国に行けば、私は「ますだかおり」じゃなくなるかな、と。

 ―― 「ますだかおり」じゃなくなる、というのは?

中国って、日本と漢字の読み方が違うじゃないですか。

 ―― ああ。

でね、実際に中国に行って帰ったら、変わってたんですよ。行く前よりも酷くなっていた(笑)

 ―― なんと!

中国って……私が行った場所や時代のせいもあったかもしれないけど、傷口に塩を塗り込んでくるようなところがあったんですよ。

現地の人にしても、日本人みたいに空気読むとか、恩を返すとか気を使うとかじゃなくって、ものすごいストレートでドライ。当たりも強い(笑)

 ―― 滞在場所はどちらだったんですか?

広東省、深圳の近く。荒くれた町でした(笑)もうね、中国の話だけしたら、もうもうもう1日話せます! 本を出せるくらい!

 ―― 大冒険の気配がビンビンに伝わってきます(笑)

冒険しまくりでした(笑)

帰国したって、何も解決してない。心の問題と直面するんですよ。まぁ、私はずるいので、何でもかんでも来世にほうりこんでしまうんですけど……(笑)

 ―― 来世ですか?

ええ。闇は闇として死なない限りずっとあって、なんとか生きていくしかなくって、どうにも解決できないと思った。だから、先送り。「来世で解決すればいいか……」と。

 

2つのLOST

私、この別れを契機に、決めたことがあるんです。「誰とも自分の家族は作らない」って。

 ―― ひとりで生きていくってことですか?

そうですね。もともと一匹狼タイプではありますが、一人で生きるという決心には支えが必要だった。

 ―― 「一緒に生きていきたい」とまで、思った人との別れで、その先を一人で生きると決めるのは……

まあ、ネガティブな気持ちだったとは思います。「捨てられた」って感触が辛かった。

私、5歳ぐらいの時に両親が離婚して、父親がいないんですよ。というか、今回LOSTをテーマにお話しするということですけど、実はほとんど……過去の記憶がなくって(笑)

 ―― 昔話や記憶を伺う企画なんですが……(笑)

はは(笑)忘れっぽいっていうのもあるし、色んな所で全然違うことをしてきて、全然違う人に会ってきて、全然違う仕事とか勉強とかをしてるので、記憶までバラバラで収拾がつかない(笑)

特にその……私、ハワイの短大を出たんですけど、入学したのが18歳。それまでの記憶がちょっと……たとえば高校、どうやって通ってたか思い出せないんです。

 ―― 通学の仕方を?!

自転車で通ってたことは覚えてるんですよ! ただ、通学路がダメ(笑)当然、それより以前……中学校、小学校時代のことも覚えてなくて。

父親にしても突然いなくなったんですけど、これは後付の感覚かもしれないけど……「捨てられた」って感じがしていて。

で、今度は恋愛。2回目の捨てられた感があって。

この2つ、私はつなげてしまってるんです、塗り替え塗り替えの記憶で……今回のインタビューのテーマであるLOST、それが「なくした」って意味なら、まずはこの2つですね。

 

(インタビュー後編「いつだって、傍にいた 2」に続く)

 

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