メディア

「まちづくりのメディア」平野隆則

平野隆則さんは和歌山経済新聞の編集長。平日は大学で教育支援業務にあたりながら、アフターファイブと休日に取材・編集を行なっています。今回、そんな平野さんに「LOST」を尋ねたところ、「和歌山経済新聞を立ちあげた頃の初心」と「ターニングポイント」、2つのキーワードを挙げてくれました。そもそも東京生まれ、東京育ちの平野さんが、和歌山でメディアを運営するようになった経緯とは……? 和歌山経済新聞、立ち上げから7周年を間近にした真夏の午後、時の流れがゆるやかな茶室で伺いました。

プロフィール

平野隆則(Hirano Takanori)
平日は研究員として働きながら、和歌山経済新聞とコワーキングスペース「CONCENT」を運営する。
至福の時間は「年に1回くらい開くコワーキングの懇親会」だという。
「忘年会とか送別会とか、サードプレイスで仲間とワイワイすると、特別な料理や空間でなくても楽しめる。帰り道は『パーティーが終わっちゃうから、またパーティーをしよう』って気分になります」

メディア:和歌山経済新聞
Twitter:和歌山経済新聞
公式HP:株式会社Loocal

声のイントロ


 

運営スタイルがユニークな和歌山経済新聞

顔を合わせて早々、「新型コロナの影響はどうですか?」と平野さん。

「和歌山はイベントが無くなったり、店舗のオープンが遅れたり、地域への影響がすごく大きいです。ここも……」と、ぐるりと見渡した。

「緊急事態宣言が出たあと、1ヶ月ぐらいは閉めました」

インタビュー当日、待ち合わせをしたのは、平野さんが運営するコワーキングスペース「CONCENT」。久々に訊ねると、新型コロナウイルス対応でレイアウトが変わり、席と席の間もボードで仕切られていた。

「コワーキングは密な状態になりがち。でも、ここで仕事や勉強をしたいと通ってくれる利用者さんが多く、有難いことに会員も増えているので、できるだけの感染対策をしながら運営してます。
和歌山経済新聞も週に1度の編集会議をリモートに替え、ネタ出しや取材報告、スケジュール管理など、なんとか共有していってる感じです」

平野さんが編集長を務める和歌山経済新聞は「みんなの経済新聞ネットワーク」※に属する和歌山県密着型のウェブメディア。2013年、「CONCENT」を運営する「株式会社Loocal」(ルーカル)が母体となってスタートした。

※みんなの経済新聞ネットワーク:地域のビジネス&カルチャーニュースを配信するメディアネットワーク。現在の参加地域は国内で100以上、海外拠点も10拠点を数える。略して「みん経」。
「新聞」を名乗るが紙媒体は持たず、ウェブメディアのみを運営。運営母体も制作会社や広告代理店、NPOなどメディアによって異なる。
年に一度開かれる「みん経キャンプ」に全国から多くのメディアが集まるなど、緩やかな連携もみん経ネットワークの特徴。

以来、「和歌山のハッピーニュースを県内外に届ける」をモットーに、平日1本のペースで記事を配信。新聞休刊日以外は休むことなく配信を続け、公開記事は1715本を数える(2020年11月5日時点)。

「和歌山経済新聞の記者は全員がボランティアです。参加メンバーは会社員や書店員、大学職員、医療関係者、フリーランス、公務員など10名ぐらい。皆さん仕事の傍らで取材をし、記事を書いてくれます」

取材や執筆に初挑戦するボランティア記者は、平野さんや後藤千晴氏の校正・アドバイスを受けながら、新聞独特の文体を身につける。まったくの素人でも1、2年書き続ければ慣れるという。

ベニーの記事がヤフトピに選ばれたときのスクリーンショット

上の記事は、和歌山公園動物園の動物園長・ベニー(雌のツキノワグマ)が冬眠から目覚めたときの取材記事。取材を行なった後藤氏は編集部きっての動物愛好家だが、取材当時の記者歴は2年。恒例行事の冬眠明けのお披露目が報道陣に公開され、他の記者が捉えられなかったベニーの大欠伸の瞬間をカメラに収めた。

 

熊のベニーのアップ写真

 

「和歌山経済新聞の記事はブログやエッセイのように、個人的な思いを綴る文章とは異なるので、書き慣れるまでに少し時間がかかります。でも、続けていれば書けるようになるんです」と平野さん。

「大事なのは、初めて和歌山経済新聞の記事を読む人にとって、分かりやすく書くこと。コツは『よそ者の視点』でしょうか。和歌山に来たばかりの頃の自分自身が読んでも、文脈が掴めるかどうかは常に気にかけています」

週に一度行なわれるという編集会議は、どんな雰囲気なのだろう。

「社会人サークルというか……大人がやる部活動みたいな感じです(笑)ネタ出しで盛り上がったり、みん経キャンプに泊まりがけで行ったり、わいわいやってます。記者は随時募集中です」

ベニーの記事はヤフトピに輝いたんですよね?!
そうです。
ヤフトピを知らない方にヤフトピ、それとヤフトピに選ばれたときの盛り上がりを、平野さんから伝えてもらえませんか?
そうですね、みん経の記事は全記事をYahooニュースに配信しています。中でも、Yahooニュース編集部が選んだ記事はトップページに写真付きで紹介されるんですが、1日4000本も配信されるので、ピックアップされること自体が稀なんですよ。
月間PVが150億超?! Yahooニュース……!
2017年の時点で、この数字ですからね。日本で一番読まれるニュースサイトのトップで紹介されると、全国の人に読まれるじゃないですか。それはモチベーションになります。

毎日新聞和歌山支局と業務提携

和歌山経済新聞の記事が毎日新聞の定期連載になった時の紙面

そんな和歌山経済新聞は立ち上げから5年目の2018年、毎日新聞和歌山支局と業務提携を開始。和歌山経済新聞の取材記事が週に一度、毎日新聞の地域情報ページに掲載されるようになった。

みん経メディアと大手新聞メディアとの業務提携は、みん経ネットワークで初めての事例。立ち上げから関わる関係者やみん経ネットワークの運営者にも喜ばれたという。

「毎日新聞さんに声をかけてもらったときは嬉しかったですね。地道にやってきたことが、プロに認めてもらえた……と。記者のみんなが記事を書き続けてくれたことに、改めて感謝しました」

ボランティア記者による取材・運営や休みなく行なわれる記事配信、毎日新聞との業務提携などを特徴とする和歌山経済新聞。平野さんは、他のメディア関係者から「和歌山経済新聞と同じようにやりたい。どうすればいいですか?」と相談されることがあるという。

「僕らの活動を認めてもらえるのは嬉しいです。ただ、僕自身、記者をボランティアでやってもらう今の形が最善だとは思っていないし、運営にもまだまだ改良の余地があるので……『運営のベースにするなら、もっと上手にやっているメディアを!』とお答えしてます」

 

平野さんの理想、憧れのみん経メディアってありますか?
んー、運営方式が違うからあんまりロールモデルはないんですよ。
見習うべき特技とか特徴がある編集部としては、あべの経済新聞みたいにスピーディーな記事とか、伊勢志摩弘前八王子みたいにローカルネタでヤフトピに選ばれ続ける着眼点とか。
秋田小倉などは編集長が地域のキーマンになっていて憧れます。それぞれの強みがあって十人十色というか、各編集部の良いところを学んで、和歌山モデルを作っていきたいですね。

シティボーイ・平野さんは、なぜ和歌山に?

東京、岡山、大阪・和歌山、そして東京

平野さんは東京生まれ、東京育ち。銀座で知られる中央区の中学校を卒業後、国立東京工業高等専門学校情報工学科(八王子)に進学。5年間のカリキュラムを修了し、岡山県にある専攻科に進んだ。

「高専があった津山市は、岡山県の第3都市で割と人口が多い地域でした。なのに自然が豊かで……ある日、寮の外壁にカブトムシがいたんですよ。東京じゃあり得ないですよね? 僕はビックリして、同級生に「カブトムシ!」って捕まえて見せたんです。
そしたら『はぁ?』って感じで(笑)地元の連中にとっては当たり前だったみたいで『なんじゃ? その小さいのは』ってダメ出しもされて(笑)」

自然豊かな環境で工学を学んだ後、和歌山大学大学院システム工学研究科に進学した平野さん。大阪の泉南市で暮らし、阪和線に揺られながらキャンパスに通学。卒業後は東京に戻り、実家の電気工事会社に就職した。

「父はもともと、息子に会社を継がせたかったみたいで、僕が帰ったら喜んでました。結局、一緒に働いたのは1年間だけだったんですけど、父が働く姿を間近で見られたし、親子の良い時間が過ごせたと思ってます」

自称「ガジェットマニア」の平野さん。「CONCENT」の周年イベント『デジタルガジェットBar』ではマスターを務めた。

 

後藤氏によると「編集長はガジェットなら、たいていのものは自分で直してしまう」そうだ。その技術は、いまだ現役 ―― 一眼カメラのレンズも自ら修理する。

 

 

家業に入って1年後、平野さんは転職。SIer(エスアイヤー)※でメガバンクに出向し、システム構築などを始めた。

※SIer:ハードウェアやソフトウェア、ネットワークなどを組み合わせ、クライアントにとって最適なシステムを開発・提供・サポートする企業。

「金融機関系SIerは収入はよかったし、尊敬できる同僚も多かったです。でも2年、3年と勤めていたら、『この仕事は自分じゃなくてもいいんじゃないか……?』と感じるようになって」

新たな仕事に、複雑な思いがあった平野さん。業務の傍ら、ビッグイシュー※のボランティア活動に参加するようになった。

※ビッグイシュー:ホームレスの人が高品質な雑誌を手売りし、自立を目指すプロジェクト。発祥の地はロンドン。

「9.11が起きたり、リーマンショックがあったり……世界の流れが大きく変わる時期だったこともあって、地域や社会への貢献、社会の仕組みをプラスに変えるような活動がしたかったんです。
そうはいっても、社会とか国みたいなものは、大きくて漠然としているので、草の根的な……小さな社会変革につながる活動を探していたら、ビッグイシューの存在を知って。
ホームレス支援は、社会貢献や弱い立場の人への支援であると同時に、仕事のもやもやをケアするメンタルヘルス的な時間だったかな……僕自身が救われていました」

ふたたび和歌山に

平野さんは公私で過ごし方を変え、バランスを取りながら働いた。しかし、それにも限界があった。

「3年も経つと、東京で働き続けることがしんどくなり、ちょうど結婚もして……2009年ですね。妻の地元・和歌山市に移り住み、NPO業界で働き始めたんです」

地方都市への思いも募っていたという。

「東京は人と情報で溢れていて、なにかやろうとしても、すでに誰かが行なっている。地方はプレイヤーが少ないので、まちづくりの取り組みも地域の人たちに必要としてくれる気がしました」

平野さんはNPOで地域医療の情報化やまちづくり事業、イベント企画などを担当。実際に和歌山で地域貢献の仕事を始め、気付いたことがあったという。

「和歌山の人は東京発信の情報ばかり見ているな……と。地元の祭りやイベントのことは知らず、スカイツリーのことに詳しい。自分たちでイベントを開始して、何度か……何年か続けても、なかなか認知度が上がらない。
そもそも当時の和歌山市は新聞とかフリーペーパーとか、いわゆるオールドメディアが強く、それでいて県全域をカバーする地方紙は存在しかったんです。SNSやスマートフォンなど、新しいツールによる情報発信もまだまだ広まっていなかった」

やってもやっても伝わらない……そんな現実を前に、平野さんはある決心をした。

「イベント主催者や地域振興の企画・運営者など、コンテンツの作り手は周りにいました。それなら、僕は情報発信の役割を担おうと。具体的な方法を探し始めたんです」

平野さんは仕事でも転機を迎え、NPO業界から地方大学に転職。働きながら、地方都市の情報発信の仕組みを模索した。こうして辿り着いたのが、みんなの経済新聞ネットワークだった。

品川経済新聞編集長・宮脇淳氏との出会い

平野さんは茶道歴10年超。「茶道の稽古に集中すると心身共にスッキリします」と話す。

みん経ネットワークとその活動を知ったり、和歌山経済新聞を立ち上げたりする少し前 ―― 平野さんのように地域貢献を志すメンバーが集まり、「株式会社Loocal」を設立。クリエイティブな交流が生まれる空間を作り出そうとCONCENTを立ちあげた。結果的に、和歌山で初めてのコワーキングスペースになった。

「オープンしてしばらくしたら、年上の男性が1人、訊ねて来たんです。誰の知り合いでもなく、CONCENT自体もまだまだ認知されていない時期だったので、誰だろうと不思議に思ったんですけど……」

この人物こそ、和歌山経済新聞を立ち上げ、初代編集長を務めた宮脇淳氏※だった。

※宮脇淳:和歌山県出身の編集者・経営者。東京で編集プロダクション「有限会社ノオト」を経営し、「品川経済新聞編集長」も務める。和歌山経済新聞の初代編集長。

「当時、関西でみん経ネットワークのメディアがなかったのは、和歌山県だけ。宮脇さんは、東京で品川経済新聞を運営しながら、地元でも出来ないかと気にかけていたそうです。
そんなとき、和歌山市で若い連中がコワーキングスペースを始め、みん経メディアの立ち上げも検討していると聞きつけたらしく、会いにきてくれて」

初顔合わせの場で、宮脇氏から提案されたという。

「『和歌山経済新聞をやろう』と言われたんです。宮脇さんが編集長、小泉君(Loocal社長)と僕が副編集長の体制で。
宮脇さんは『僕は和歌山に居ないけど、ネット経由で記事は見られるし、大丈夫だよ』と後押ししてくれて……あの時、挨拶も早々に、そんな話しになったんじゃなかったかなあ」

「夏のお茶は、なるべく早く飲み頃になるように、平べったい器(夏茶わん)を使います」と平野さん。堂に入った持て成しの詫び錆び、そして抹茶の芳しさが、35℃超という猛暑の苛烈さを忘れさせる。

こうして和歌山経済新聞がスタートした。知る人ぞ知る宮脇氏がふらりと現れ、リモートとはいえ初代編集長として立ち上げからメディア運営まで密接に関わり、駆け出し記者たちの原稿を校正する ―― これらが無償で行なわれた日々を「すごいですよね」と振り返る平野さん。

「出来たばかりのコワーキングに一人で来られて、なんだか知らないけれど僕らを熱く後押ししてくれて……そんな宮脇さんが宣伝会議※のイベントに講師として呼ばれる編集者で、全国に多くの教え子がいることは後から知りました。今、考えるととても幸運でした」

※株式会社宣伝会議:日本で初めて広告専門誌を創刊した出版社。ライターや編集者を育成するイベント・講座も主催する。

趣を新たに、硝子の茶器。お菓子を食べ終えてからお茶をいただくのが、茶道の作法だ。

「和歌山経済新聞を始めた頃、平日は大学で仕事をして、CONCENTの運営もやって、その傍らで取材をして、記事を書いて……
配信記事が10本になる頃には、こんなこと続けるのは絶対に無理だと思いました(笑)記事なんて書いたことがなかったので、よけいに大変だった。
ただ、せっかくみん経の一翼を担っているのだから、平日一本の記事だけは落とさないようにと……必死でした」

想定外の自体に見舞われることもあったという。

「みん経キャンプで宮脇さんが『編集長の編集仕事』ってタイトルで講演したとき、『全記事、毎日、編集長として見る。当たり前のことを続けているだけ。記事は1本たりと落とさない。これは品川経済新聞も和歌山経済新聞も同じ』と言い切ったんです。
宮脇さんの発言は、全国の編集長に衝撃を走らせ……実はうちもその講演の前日、記事を落としそうになっていて(笑)
みん経キャンプに向かう高速道路のPAで原稿をチェックして……ギリギリ配信できたんですが、翌日の宮脇さんの話を聞いて、編集部一同、苦笑いしてました。
あのとき原稿を落としていたら洒落にならなかったなあ(笑)」と回想する平野さん。

今回、LOSTインタビューのオファーを受けたとき、脳裏に浮かんだのが、この時期の出来事だったという。

「それと、あの頃の心境……初心。初心ですね。これは忘れちゃいけないな、と。宮脇さんが点けてくれた火は、今でも熱く燃えてます」

 

和歌山経済新聞の記事、1本目は2013年8月ですが、サイト公開日は異なるとか?
テスト記事を何本かアップした状態で公開しました。ローンチ(サイト公開)したのは10月、2013年のみん経キャンプ当日ですね。
キャンプ当日?!
毎年、新設されたメディアがキャンプで紹介されるんですけど、当日にローンチっていうのは初めてだったらしく、拍手喝采でした(笑)
それは盛り上がったでしょうね。
みん経的には僕らの立ち上げで関西コンプリートになったし、品川経済新聞の宮脇さんが地元に手を差し伸べて、若手を育てながら運営していくっていう宮脇モデルも話題になりました。

 

ターニングポイント ~バトンの重さ

和歌山経済新聞のスタートから4年目、平野さんは宮脇氏から編集長を引き継いだ。

「宮脇さんの指導のおかげで、徐々に出来ることが増えました。原稿チェックにしても、3年目あたりは僕がまずやって、宮脇さんには最終確認をお願いする段取りに変わっていて」

しかし、編集長を引き継いだ直後は「宮脇さんのようには、とてもじゃないけど出来ない。偉大さを改めて感じた」という平野さん。

「文章力や編集はもちろんですが、自分にチームがまとめられるのかとか……いろんなことを考えました。宮脇さんの補佐としてやっていたときは、ルーティンをこなせばよかったんですが、編集長になったら、それ以外のことが気がかりにもなった。
たとえば会社の利益とか、ボランティア記者に提供できる価値とか……すぐには答えが出せない問題ですが、このままではよくないと感じました。
それと、運営面。和歌山経済新聞で記者になれば、宮脇さんという凄腕の編集者に校正してもらえる。これをセールスポイントとして記者を募集していたから、僕が引き継いで、記者のみんなは引き続きやってくれるのかと……」

初代編集長からバトンを受け、不安に引っ張られながらも、前に前にと走る日々 ―― 平野さんは懸命だった。しかしある日、Loocal社長・小泉氏に面と向かって、こう言われたという。

「『もう、やめたら?』と。グサっと刺さる投げかけでした。
うちくらいのアクセス数ではバナー広告の収入だけでは赤字です。会社としてはマイナスじゃないにしても、ヒューマンリソースを浪費してばかりで、プラスを返せていなかった」

悩みはすぐに解決ぜず、問題も山積み。しかも、答えが直ぐに出ないことばかりだった。

「記事を落とさずに配信を続けるためには、手間も時間もかかる。他にもやるべきことがあるんじゃないのか、このまま続けていいのか……記者のみんなに対してもそうですね。ボランティアって形は正しいのか?と。
小泉君は、僕があれこれ悩むところを近くで見ていたし、無理を続けてることもわかっていたから、色んな意味を込めて『やめる』という選択肢を提示することで一緒に考えてくれたのかなと」

2代目編集長としての葛藤 ―― メンバーも気づかないわけがない。

「みんなからは『続けるか、やめるか、ヒヨってる!』って言われました(笑)」

悩みの尽きない日々だ。では、どんなきっかけで心境に変化が生じたのだろう。

「ひとつ、大きかったのはみん経キャンプです。全国の編集長と会って、それぞれのやり方や悩みを聞いて、まさに苦楽をともにする先輩や同志ができた。
5年、8年……10年……長く続けている編集部への憧れも膨らみました。僕らが和歌山経済新聞を続けていったら、どんなことが起きるのか……未来を見てみたくなりました」

みん経キャンプには小さな夢も抱いていたという。

「和歌山経済新聞が始まった当初、編集部で『いつかはみん経キャンプで全国の編集長の前で和歌山の事例を紹介できたら良いな』って盛り上がってたんですよ」

2019年 ―― その夢は叶った。

「宮脇さんの代打でしたけどね、ご本人が『喉を痛めて話せる状態じゃない』とおっしゃって……(笑)ただ、立ち上げから3年の壁を越えてなければ、あの出来事だって実現しなかった。壇上で話せたことで、編集部メンバーが一番喜んでくれました。僕たちの個性が認められたような……報われた感じがしました」

小泉氏からは「コワーキングスペースは学びの場でもあるから、和歌山経済新聞の活動ともつながるよね」と賛同を得た。

「この時期が僕のターニングポイント。2つ目のキーワードですね。課題は解決していないけれど、考え続けながらやっていこうと思ってます」

編集長を引き継いだ頃の「宮脇さんにはなれない」という心境も、すこしづつ変化したという。

「スラムダンクの赤木じゃないですが、『自分は勝てなくても、チームは負けない』し、自分らしくやればいいと思うようになりました。
すこし余裕ができたというか……諦めることを覚えたんですよね。
生活に困っている人の支援とか、地域活性化のイベントも続けたかったんですが、和歌山経済新聞の運営だったり、取材や編集だったりの時間を確保するために諦めた。割り切るようになりました」

同時に「自分の強みにも気づいた」と平野さんは話す。

「たとえば日記って、一日、二日は書けても、継続するって難しくないですか? 情報発信も同じだと思ったんです。
いい取材をしたり、いい記事を書いたりすることは大事なんですけど、一度きり……単発なら、まあまあ出来る。それを毎日続け、点を線にすることがキツイ……回遊魚みたいなものかな、泳ぎ続けなくちゃいけない。
ただ僕の場合、茶道歴にしても気づいたら10年以上だった。続けるのは得意みたいです(笑)」

和歌山経済新聞の未来

中央のイラスト「コンセントン」はCONCENTのイメージキャラクター。スペース名「コンセント」の語尾の響きにイメージを重ね、「尻尾がプラグになったブタという安直なキャラクター(笑)」と平野さん。右のURLは、WEBページに掲載されたコンセントン→http://concenton.loocal.jp

「和歌山経済新聞を立ちあげた頃は、まだまだ認知度が低くて、取材させてもらえないこともあったんです。
それが今では『和歌山経済新聞を読んで、イベントに行ったよ』と言われたり、お店の方に『記事を出してもらったら、お客さんがいっぱい来た』と喜んでもたえたりするようになりました。
こういう言葉が嬉しいし、やりがいを感じます」

運営を続けてきたからこその「いいこと」も多いという。

「地方紙との提携も、いつかは……夢見ていたことです。それが毎日新聞さんと提携できて、紙面を持ってない和歌経的には読者が増える機会になったし、毎日新聞さんがどこを編集するのか、どんな見出しを付けるのかなど、プロの仕事が垣間見えて、毎回学ばせてもらっています。記者の実績やモチベーションにもつながって……いいことづくめですね」

最後に、平野さんの未来図を尋ねた。

「編集部としての目標は、成長するチームであること。ボランティア記者が和歌経での経験を経てキャリアアップしたり、執筆経験が役に立ってステップアップしたり、自分自身を含めてお互いを高め合う関係でありたいと思っています。実は、一部の記者はすでに次のステージに進んでいます。
和歌山県は若者の県外流失率No.1とも言われています。ふるさとを離れて暮らす人が多い地域です。和歌山で暮らす人、和歌山出身者に、地元の元気や笑顔を届けるメディアでありたいです。
和歌山経済新聞にはロールモデルを見つけられていないので、これからも読者や記者、地域にとってプラスになる形を模索しながら、よりよく変化していきたいです」

 

(おわり)

 

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