日常

「告白を文化に」佐古晴弘

カメラマンや大工、イベント主催など多方面で活躍する佐古晴弘さん。フェイスブックにポジティブで優しい「写真と言葉」の投げかけを投稿し、投稿日は連続1700日を超えます。そんな佐古さんですが、少年時代から30代半ばまでを「他人に本音を伝えたことがなく、誰のことも信じられなかった」と振り返ります。現在のご様子からは信じ難い告白ですが、事実だとすれば何があったのか? 「転機だった」と語る東日本大震災から9年が経った今、佐古さんが省みるLOST体験とは ―― 

プロフィール

佐古晴弘(Sako Haruhiro)
ドリームメンター/大工/写真家
「子どもたちの憧れるさこびっち」
100人の起業家支援から自身の強み、「想いをカタチに」することに気づき独立。
オリジナルの写真と言葉で目の前の人をやる気にさせる投稿を1750日継続中。
口癖は「今日も世界を変えるために目が覚めた」と「みんな大好き」。

ドリームプランプレゼンテーション関西代表
100万人の告白展」代表
究極のコンサルタント関西1期生

声のイントロ


 

幸せな暮らしを失った

佐古さんの父が友人に騙され、借金を負ったのは、佐古さんが小学6年生のときだった。

「家が一軒、買えるくらいの額やね」

佐古さんの父が経営する建築会社は倒産。家族が暮らす家もなくなった。負の連鎖は止まず、夜明けからヤクザがドアを叩き、借金の返済を強いた。

思いもしなかった事態 ―― 父とその友人は家族ぐるみで仲がよかったから、佐古さんのショックも大きかった。

「生活は苦しいし、実際に何があったかなんてツレ(仲間)にだって言えない。誰のことも信じられなくなった。俺にはもう、将来、なんもできへんなとも思った」

事件の直後、佐古さんは突発性の難聴になり、いまも左耳が聞こえにくいという。

決意と急な別れ

佐古さんは大学生になった。借金を残す父は建築から土木に生業を替え、阪神大震災の復興など、関西圏を回っていた。佐古さんもアルバイトで父の仕事を手伝った。

会社の経営だけでなく、大工でもあった佐古さんの父。幼い頃から「おまえも大工になるだろ?」と言われ続け、思春期には「決められた道を歩かされるようで」反抗もしたが、共に現場に入って仕事をするうち「オヤジと一緒に大工がしたい」と思うようになった。

もう一度、父に大工仕事を。そして、自分も一緒に ―― 佐古さんは気持ちを固め、父に伝えた。

「嬉しそうやったよ。俺も、オヤジに大工仕事を仕込んでもらって、一人前になるんだって決意した」

しかし、佐古さんが思いを告げて3ケ月後、父が亡くなった。急性心不全だった。

終わりの予感

「なんも教わってないやん! なに死んでねん!って感じだった」

亡くなる3日前、父は佐古さんと現場に出た帰り、「神経痛がきついから、ちょっと看てもらうわ」と病院に行った。医師に「心臓に水が溜まってる」と診断されたが、父は「大丈夫や」と笑った。

「入院を勧められたかもしれない。けど、オヤジのことやから断ったんちゃうかな……ニトロだけ貰ってきてん」

ニトログリセリン。「心臓が止まったときに飲むように」と医師から渡された薬だった。

「いやいや、心臓が止まったら自分で飲まれへんやん!って、みんなで笑って」

その後、父は急に掃除を始めたり、友人や知人に会いに行ったりした。

「診察を受けてたった3日間でオヤジ、何百人もの人に会って、結局、人がいっぱいる所で亡くなった。これで自分は最期だと分かってたのかもしれない」

そうはいっても佐古さんにとって、家族にとって、あまりにも急な死だった。大工仕事も仕込んでもらえなかった。「ただ……」と佐古さんは話す。

「……生き方だけは教われた」

徳を積むことの大切さ

「うちのオヤジは信仰に篤い人だったけど、ちょっと信じ方が変わってた。

俺が幼稚園の頃はカトリックで聖母マリア様を拝んで、小学生になったら高野山で真言密教。中学時代は神道に入って、神様を信じて。

オヤジが信仰生活で気づいたのは、とにかく徳を積むことの大切さだったと思う。与えて、与えて、与え続ける。そうすると自然と徳が積まれる。

俺は長い間、人を信じらずにいたけど、どこかで、そんなオヤジに影響されていた。徳を積むという意識は、心のどこかにずっとあった。生きていくうえで、それが大事なんだと」

父の死後、佐古さんは「とにかく働かな」と一念発起。姉と弟の3人で家業を継いだ。借金を返し終えたのは、佐古さんが29歳のとき。幸せな家族の暮らしを失った事件から、17年が経っていた。

 

年代ごとに信仰が異なったそうですが、佐古さん自身には精神的な混乱や生活の難しさはなかったですか?
あんまりなかったかな。どういう宗教でも、言うてる基本は同じだって分かったしね。
それは、徳を積むことの大切さですか?
そうやね。ペイフォワード。いつでも譲る精神でいること。恩を着せるのではなくて、とにかく与えること。そういうところは、どんな宗教でも一緒かな。それぞれの信仰にどっぷり浸かったからこそ、いいとこ取りができるようになったと思うよ。

 

念願を叶え、大工に

父が興した土木業を継ぎ、兄弟と共に借金を返した佐古さん。「もう大工になってええかな」と思い、建築会社に転職した。

念願を叶えた翌月、佐古さんは唖然とした。

「給料明細を見て、この収入で生きて行けるのかと……朝から晩まで働いた給料が18万、29歳で。土木とは桁が違った(笑)」

しかも先輩は揃って年下だった。

「10代半ばの子らに、こき使われることもあった(笑)まあでも、ようやく大工になれたし、辞める気持ちにはならなかった」

佐古さんが勤めた会社は薄利多売の経営方針。現場と施工の数が多かった。

「ひたすら現場に出て、仕事の基礎を身につけられた。むちゃくちゃ勉強になった」

がむしゃらに働き、大工の腕を磨いた佐古さん。しかし、30代後半に差し掛かると心境が変わりはじめた。

「大量生産やコスパ重視じゃなくて、環境にやさしい住宅を建てたくなった。赤ちゃんが床を舐めても大丈夫な家とか、建材の質や種類にこだわったりとか」

アンテナの向きを変えると、自分の方向転換に協力してくれそうな人に会えるようになった。佐古さんは働き方や暮らしをより深く考えるため、しばらく仕事を休むことにした。

震災ボランティアで石巻市に

佐古さんが撮影したボランティアの現場

仕事を休み、プライベートの時間を作ることにした佐古さん。はじめは南の方に行こうと思った。バックパックの一人旅か、車で寝泊りするか ―― 旅のスタイルや日程を考え始めた2011年の3月。東日本大震災が発生した。

佐古さんはテレビで震災を知った。時間が経つにつれ、深刻な状況が見えてきた。

「俺は土木や大工の仕事ができるし、プライベートでは山歩きやアウトドアを続けていた。被災地は土地が荒れ、家がぐちゃぐちゃになっている。俺が行かな誰が行くんや、と。いま東北に行かなきゃ、自分に嘘をつくことになると思った」

佐古さんは旅行を中止。震災ボランティアの参加を決めた。行き先は宮城県石巻市。関西圏のボランティア志願者とツイッターで知り合い、ディーゼルエンジン※のハイエースで現場に向かった。
※当時、ガソリンが不足。「ディーゼル車だったから辿り着けた」と佐古さん。

被災地は、想像を遥かに超えていた。

「家もいっぱい流されてるし、流されてなくても水にどっぷり浸かってるし、もちろん、人もたくさん亡くなってた」

佐古さんは、ある家の片付けに入った。1階は水浸し。足場を作り、使えなくなった品々を運び出す間にも、家屋や地面を余震が揺さぶった。片付けにさえ危険が伴う有様だった。

「でも、そんな家の2階に、まだ家の人が住んではったんよ。作業していたら、ちいさな子どもを抱えたお婆ちゃん、1階に降りて来て」

顔を合わせたお婆さんに、佐古さんは「家は片付けておくから、避難所に行っておきぃや。地震が来たら危ないで」と声をかけた。しかし、お婆さんは言った。

「離れられない」

佐古さんはお婆さんの顔を見た。

「この子のお母さんが帰ってくるまで、この家から離れられない」

抱っこされた子ども ―― お婆さんの孫の母は行方不明になっていた。それを聞いて、佐古さんは思った。

「俺、なにしてきたんやろな……って。今まで作ってきた家って、なんだったんやろうなあと。

俺には大工としての自負があった。意識も高いと思っていた。けど、ぜんぜん足らなかった。

材料がどうとか、環境にいいとか、そういう観点から建築をやりたかった。そんなの……みんな俺のエゴや、と」

数多くの現場に携わり、身につけた知識や技能を最大限に活かす ―― そんな家作りのビジョンを描いてた佐古さんを、その心の底を、被災地が揺さぶった。

「大事なのは建て方じゃない。材料じゃない。そこに住む人。住む人が、どういう思いで住むのか。それが一番大事なんやって、やっと分かった」

佐古さんは「生き方を変えよう」と決心し、大阪に戻った。

ドリームプラン・プレゼンテーション

生き方を変える ――

その決意で帰阪した佐古さんに転機があった。「ドリプラ」というイベントの中心人物、福島正伸氏と出会ったのだ。

ドリプラとはドリームプラン・プレゼンテーションの略。「プレゼンター」が10分間で「最高の価値の体験」と「あきらめない理由」を観客に伝え、プレゼンターとオーディエンスが価値感の共有を目指す。

このドリプラを主催するアントレプレナーセンターの代表が福島氏だった。佐古さんは福島氏との対話に、それまでの苦悩や仕事のわだかまり、石巻から持ち帰った問題へのヒントを得た。考えがどんどん深まった。

佐古さんはドリプラへの参加を決めた。しかし、その途端、扁桃炎になり、息をするのがやっと。入院するしかなかった。

症状が改善し、退院しても、またぶり返した。佐古さんの入院は1ヶ月で3回を数えた。そして、最後の手段だった手術を受けた。思うようにならない闘病生活だったが、ドリプラの準備だけは欠かさなかった。

舞台で喋る自分をイメージしながら、幼少期のこと ―― 父が騙されて巨額の借金を負ったこと、人を信じられなくなったこと、自分の思いをありのまま口にすることがなくなったこと……さまざまな思いを書きつけた。喋ることができない状態をチャンスに変え、一ヶ月で2冊のノートを言葉で埋めた。

自分や過去を掘り下げ、佐古さんは一つのテーマを見つけた。それは「街を守る職人を増やす」ことだ。

石巻市にボランティアとして赴き、瓦礫と化した建物を目の当たりにした。効率を重視したり、見栄えがいい施工したりするのではなく、住む人を第一に考える大工や、大工としての志を伝えることこそ、最優先すべき事柄だと自覚したのだ。

佐古さんは扁桃炎から復帰。ドリプラのスピーチも成功させた。半年間自分と向き合い続けた結果、プレゼンテーションでは多くの感動と共感を得て、夢に向かって共に進む仲間ができた。

その後も福島氏に師事しながら、ドリプラのメンター、実行委員、副代表などを10期連続で務めたのち、ドリームプランプレゼンテーション関西大会を主催。以前とはまるで違った世界で、学び続ける日々だった。

ドリプラの舞台で参加者に呼び掛ける佐古さん

佐古さんが仕事をしていた土木や大工の現場は厳しい声が飛び交い、きつい態度が当然の世界。自身、そういった環境を疑わなかった。

「アホ! ぼけ! カス!の毎日。それが当たり前だった。でも、ドリプラを通じて、信頼関係のなかで人間関係を作ったり、育てたり育てられたりという経験が積めた。

石巻に行かず、福島先生にも会えなかったら、いまも昔と変わらない生き方をしてると思う。転機やった」

「やりたいことは沢山あるけれど、大工もやめられない。自分の家を自分で建てるのが夢」と佐古さん。

 

100万人の告白展

佐古さんはドリプラに参加し、「思いや夢を素直に語れる幸せ」にも気づいたという。

「むかしはオカンに『ねぇねぇ、お母さん』って気兼ねなく話しかけられた。いまはそれができない。

できなくなったのは、いつ頃やったんやろ……? 学校の先生や友達にも、いつのまにか屈託なく話すことができなくなってた。

もし、気持ちを素直に話せたら、どんだけ楽やったろうな。前に進めただろうなって思う」と佐古さん。続けて、こう言った。

「子どもが本音を話せなくなるのは、大人の責任なんじゃないか。子どもが何か言ったとき、それは変だとか、間違ってるって批判すると、だんだん素直に話せなくなる。それじゃ、子どもの芽が摘まれてしまう。

それとは逆に、大人が子どもを認めて、励ませるような関係性が作れたら? 子どもはネガティブなことが言えるし、ひとりで苦しまんでもいいのかなって思う。夢だって、もっともっと語れるようになるだろうし。

これって子どもに限らず、大人もそうなんじゃないかな」

そんな思いから2018年3月、佐古さんは「100万人の告白展」をスタートさせた。

 

100万人の告白展

告白展とは、普段言いたいけど言えない現状を写真という媒体で告白する展示です

『こんなこと言ったら…、いや世間体とかあるし言えない…』
『僕はこれが世界で一番大好きだああああああ!』
『実は私、こんなことずっと思ってたの…!』
『この機会に、言わせて!結婚してください!』

さまざまな告白があります

普段言えないからこそ、誰かの告白をご覧いただき
誰かの告白の後押しができれば、という展示会です

告白展のHP

 

開催準備期間は、佐古さんのもう一つの顔「ドリームメンター」(コーチングやカウンセリングを用いて夢の実現へと導く役割)として、参加者の体験や感情を引き出した。参加者は心の中に芽生えた思いや気づきを、写真4枚とキャプション140字で表現した。

「100万人の告白展」の様子

「告白は、過去のネガティブを前向きなエネルギーに変えることができる」と佐古さん。

「俺にしても、父親が騙されて借金を作ったこと、20年間も人に話せなかった。誰も信じられなかったし、孤立していった。

ただ、心のどこかには理想や希望、出会いへの期待が生きてたんやろな……。ボランティアに行ったり、福島先生に会ったりして少しづつ変化して、いまでは向き合って話せる仲間ができた。話せる自分になれた。

人にも『変われるよ』と。『変わって、思いや夢を語ると変化が起きるよ』と伝えたい」

 

そういえば、佐古さんが写真を始めたのはいつだったんですか?
意識的にカメラを持ったのは、小学1年生くらいかな。大好きだった京阪電車を撮った。
小学1年生! はやい目覚めですね。
中学生になると車やバイクをスナップして、大学時代は馬。
馬?
そうそう。競馬場や栗東のトレーニングセンターに通って、ビワハヤヒデとか、サラブレッドを撮ってた。
じゃあもう、撮影歴……30年超えですか?! 大ベテランですね。
でも、写真をやってるって、秘密だったんだよね。
秘密……?
カメラ好きとか、撮りに行ってるとか、オタクやと思われそうで(笑)
ええ!
まあ、恥ずかしくてね。
そうでしたか。佐古さんはなぜ、写真を続けているんでしょう? ご自身ではどう思ってますか。
オヤジが騙されたショックで難聴になって、いまでも左耳が聞こえにくいんだけど、結果として聴覚的情報より、視覚的情報を受け取る感覚が発達した気がするの。
ああ、はい。
2013年くらいから、仕事で撮影を受けるようになったんだけど、モデルや依頼者から「人と見てる感じが違う」とか「あんたの観てる感じがええねん」って言われる機会が増えて。

もともとカメラが好きだったし、撮って喜ばれたり、撮影を通じてやっていきたいことも増えたりして、いまでも写真を撮ってるね。

佐古さんの夢

「自分との誓いを破る人間に、人との約束は守れない」と話す佐古さん。苦しい時も、辛い日もあるが、そんな思いから朝のフェイスブック投稿を続け、連続1750日を超えた。

佐古さんには夢がある。

「告白を文化にしたい。参加者が100万人くらいになったら、文化と言ってもいいんちゃうかなと思って『100万人の告白展』って名前にした(笑)」

2019年、イベントは全国8カ所で開催するまでになった。

会期中は、参加者の告白が来場者の告白を呼び込むような循環があり、つい先日も、展示を見た病院関係者から、病院のロビーを使った告白展の依頼が届いたそうだ。

佐古さんはこの流れを活かし、今後もイベントの拡大・全国展開や、不登校の児童を集めた「もう一つの卒業展」などを企画しているという。

<リンク>
公式ページ:100万人の告白展

 

(おわり)

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