大学在学中にプロカメラマンのアシスタントになり、一念発起して大学を辞めてカメラマンとして独立。ところが仕事に結びつかず、電気・ガスが止まるほどに行き詰った阪本さん。京懐石店のアルバイトを見つけ、ようやく再生のきっかけを得て……第1部でも話題にあがったインド旅行は、阪本さんが大学に入る前のこと。「LOST体験をきっかけにインドを目指すようになった」そうですが、どのような経緯があったのでしょう? 笑いが笑いを呼ぶ阪本さんのインタビュー、第2部の幕開けです。(第1部「旅する写楽1」)
阪本勇(Sakamoto Isamu)
写真家。1979年、大阪府生まれ。大阪府立箕面高等学校卒業後、インドにひとり旅。日本大学芸術学部写真学科中退。写真家の本多元に師事後、独立。2008年「塩竈写真フェスティバル フォトグラィカ賞」受賞。高校の先輩である矢井田瞳の撮影のアシスタントをした際には「箕面高校」とあだ名をつけてもらったことも。人物撮影、ドキュメンタリー撮影を中心に、写真・映像の分野で大活躍(する予定!)。
【連載】まる、さんかく、しかく(dancyu/ダンチュウ)
声のイントロ
人生2度目の衝撃
血と笑いに祝福された断髪式を幕開けに、
阪本さんのインド旅行がはじまりました。
最初に降り立った外国は、
なぜかマレーシア……?
のっけから旅程を外れた阪本さん。
ここからの道行きは、
さながら聖地巡礼!
いや、どうやら「聖」の字が違っているようです ――
マレーシアはどうだったんですか?
空港でね、「来なきゃよかった」って後悔したんです。
後悔?
地元の人たち、外国人の観光客が出てくるのを待ち構えてるんですよ。ガラスとかにベターって張り付いて。それ見てめっちゃ恐怖で……
いま考えたら、空港のベンチで寝て、明るくなってから行動すればいいって分かるんですけど、そん時の僕は「いま、ここで外に出なきゃ、人生負け」って思って、えいやーって飛び出して。
外にいた人たちがめっちゃ群がってきました。囲まれないようにひたすら歩いて、だいぶ空港の出口から離れてから、タクシーみたいなのに乗りました。
タクシーに乗るまで大変だったんですね。
マレーシアを2週間で経って、インドネシアに行って、そこに1日か2日……ああ、そうだ。インドネシアでは騙されたんですよ。
詐欺ですか?
いや……長距離バス乗って、日本で言えば……東京からバスで青森に行く予定やったんが、気づいたら真逆の方に進んでて、広島くらいの位置にいました。しかも真夜中。山の中の何にもないところでバスが壊れて、放り出されて。みんな散り散りになるんで、「これはまずい!」と必死で付いていくんですけど……
むちゃくちゃ恐ろしい……
乗客のなかで、僕だけやし、観光客。しかも外国人やし、煙たがられるんですよ。でも、「こんな……どこだかわからない山に置いていかれたら、ほんまにマズイ!」って思って、ぼくの前を歩いてた人にしがみつく勢いで「置いてかんでくれ!」って叫んでたら、そこに居た人がしぶしぶ集まってきて、なんか会議みたいなのしてくれて。
会議……
むっちゃくちゃ田舎やし、山奥やし、近くにホテルなんて無かったはずなんですけど、なんとか泊れるところまで連れて行ってもらえました。受付で「ハウマッチ?」って訊いたら、めっちゃ安かったんです。50円くらいの宿で。いくらなんでも破格なんですよ。
そんな状況で連れていかれた宿が爆安だったなんて、ついてるなあ。
しかも、狭かったけど個室やって。
ラッキー!
寝転んだら、天井にヤモリが100匹ぐらいびっしり(笑)
え!
シャワー室に向かっていったら、牛がえるみたいなデカいのが廊下を飛び回ってたりとか(笑)
恐怖の館だ……(笑)
んで、シャワー浴びて自分の部屋に戻ろうとしたら、バスタオル一丁の女の人がパぁぁって歩いてて、驚いて固まってたらぼくの目と女の人の目がバチっとあって。
ヤモリ、うしがえる、バスタオルの女性で、もう役満ですね(笑)
売春宿やったんです。
!
地元の人たちがね、ぼくがあんまりにも困ってるから、そこしかないって感じで連れてってくれたんやと思います。
あ……そういえば友達と約束してたんですよ。「オナニーどれだけ我慢できるかチャレンジしよう!」って。で、マレーシアに着いた初日にヤって。
いきなりヤってるじゃないですか(笑)
すごく後悔して。「あいつとの約束を破ってしまった……」って罪悪感があって、2日目からは我慢しました。売春宿の夜、人生2度目の夢精をしました。
思春期ですか!
いやあ、童貞やったんですよ、ぼく。マレーシアの2日目から溜めに溜めてて、目の前でパンツ一丁のバスタオルの女の人を見て、童貞には刺激が強すぎたんでしょうね。たまらんかったです。すごい量が出たなあ。
出たなあって! むちゃくちゃ面白いですよ! でも、この話は書かないほうがいいですよね?
全然いいですよ(笑)
まいったなあ……阪本さんが帰らなきゃならない時間が近づいてるんですよ。これ……笑いっぱなしのまま、ぜんぜんインドにたどり着きませんでした(笑)
あ。次の時間を間違えてて、あと2時間くらい大丈夫です。
じゃあぜひ、続きを!
阪本さんとお店に入ってから2時間が経過。
飲み物もなくなったので注文をしに行きました。
インタビューをお願いしていますし、
2人分を支払おうとすると、
「いや、いいです! 自分で払います!」と阪本さん。
「自腹じゃなきゃオーダーやめます!」
それではすみませんが……とお返事した後の、
ほっとした阪本さんの表情が忘れられません。
かたや、19歳の阪本さんはマレーシア行きのフェリーにいるようです。
なにやら慌てた様子で……
チノパン事件

人生2度目の夢精してから、どうなったんですか?
3ヵ月も旅に出るってことで、生地が厚いチノパンをはいて行ったんです。精子、その生地を通り越してました。大量に出て、滲みて。
直後の話ですね(笑)
そのあと、インドネシアからマレーシアに戻るフェリーに乗って、国境を跨ぐので、船内でチェックがあって。乗客が集まってくるんです。ぼくもリュックを全部空けられて。
厳しいですね。アジアの国ってゆるいのかと思ってました。
そのとき持ってたカメラ、フィルムカメラだったので、フィルムもたくさん持ってたんですけど、係員が箱空けて、フィルムのなかまで調べようとするんです。
やばいですね……
さすがにまずいので、「それだけはやめてくれ!」って頼んだら、さらにリュックの奥まで調べられて。ぼく、リュックの一番下に仕舞ってたんですよ。
なにをですか?
洗濯ができる環境じゃなかったので、汚れたチノパン。
え……
係員がどんどんリュックから荷物出すんで、「まずいなー……」って焦るじゃないですか。へんな日本人が荷物チェック受けてるから、人も集まってくるんですよ。いよいよ、係員がチノパンを包んでたビニール袋をつかみ出して。これ、どんだけ恥ずかしい思いさせられるんやろ……って気が気じゃなくて。
どうされたんですか?!
「オケイ!」って言われました(笑)一言だけ。
爆笑
がびがびのチノパン、ビニール袋から出されて、みんなに晒されるのかってヒヤヒヤしてたんですけど、中身がふつうの服だってわかったからチェックしなかったか、あるいは臭いが……。
臭いが(笑)
元ヤクザとゴーゴーバー、果てにHIV検査
そんなこんなあって、マレーシアからマレー鉄道でタイに向かいました。
東南アジア旅行になってますね。
まあ、タイにいたのは2週間くらいですね。ここで初めて、親族以外の女性の裸を見ました。
性に目覚める旅だ!
マレー鉄道は一番安い席に座ってて、一回パスポートを見せなあかん駅で降りたら、ひとりだけ日本人がいたんです。その人は一番上等な車両にいてて。「今回の旅行で会った日本人のなかで、おまえが最年少だ」って言われたんですよ。
なりたての19歳ですもんね。
その人は30歳前後でだいぶ年上で、岡山でアウトローとして生きてて、そういう世界から足を洗うためにタイに来てました。「バンコクで一緒に飯を食おう」って誘ってくれて、そのあと、「ゴーゴーバー行こうや」と言われて。
それはまた急展開。
ぼくね、まったく知らなかったんですよ、ゴーゴーバー。なんのことか分からないので、「それ、なんですか?」って聞いても、「とぼけんなよ」って笑われるばっかりで。
連れて行かれた店に入ったら、水着とか全裸の女性がたくさんいて。初めてやったから、どこ見たらいいんやろ……って感じで。席に座ると女の人が横に来るんです。おっぱい触らせてきたり。
セールスでしょうか。
興奮はしましたけど童貞だし、どうしていいかわかんないし。無理やり触らせられて、しぶしぶ手を当てたら、触り方で童貞だってバレバレやったみたいで、むっちゃくちゃ笑われて。連れてってくれた人は「誰か選べ! おごるから!」って言うんですけど、ぼくは「いや、初めては好きな人とします!」って断って。女性は買わずにタクシーで帰りました。
もうね、そんなんだから部屋でシャワー浴びながら、ひとり右手で「うをーー!」ですよ。
友達との約束、忘却のはるか彼方ですが(笑)
しょーがないですよ(笑)
それにしても、インドに着きません(笑)
いろいろあり過ぎたんですよ(笑)
ある日ね、岡山の元ヤクザのその人と、別の場所で会ったダイさんと、2人がエイズ検査を受けに行ったんです。
また、いきなりですね。
2人はタイで遊びまくってて、ダイさんは「もし陽性だったら日本には帰らない。タイで死ぬ」って言ってて。ぼくは性病にかかるわけがないので、検査は受けずに外で待ってました。
2人が検査から戻ってきて、「なんもなかったわー」って言うと思うじゃないですか。ところが実際は深刻な顔つきだったんです。元ヤクザが「元気だせよ」って言ってるの、聞こえたんですよ。まさかって思うじゃないですか。ダイさん、声かけられても、まったく元気がなくて……いつものふざけた感じ、どこいったのって感じで。取り付く島、なくって。
……まさかの状況……
とりあえず場所を動こうってことで、自然公園みたいなところに移って。人もあんまりいなくって。ダイさん、気分変えたかったのか、カップの入りのアイスクリーム買って、静かに食べてました。
検査直後のアイスとは……
かける言葉とか……ないじゃないですか。大人が落ち込んでて、「エイズだったら日本に帰らない。ここで死ぬ」って言ってたし、どうするんやろ……って思ってたら、ダイさん、食べてたソフトクリームをぼくに差し出して、「食べる?」って言ったんです。
おお……
一瞬……戸惑ったんですよ。でもね、高校のときに受けた授業の記憶が蘇って、たしか「エイズ患者の唾液をバケツいっぱい飲んでも、HIVには感染しない」って言われたなって。でね、「いただきます!」ってソフトクリームもらいました。
度胸あるなあ。
アイス食べながらね、むっちゃ考えたんですよ。「そういえばダイさんの髭剃り借りたな……」とか……。
髭剃りはヤバイですね……ダイさんって、どんな人だったんですか?
東京のクラブで働いてて、喋りも面白いし、L’Arc-en-Cielのハイドに似てました。女にめちゃくちゃモテて、遊びまわってたみたいです。
それじゃ……覚悟はあったのかもしれませんね。
嘘やったんです。
え?
エイズじゃなかったんです。
え!
かつがれました(笑)
ひどい……!
あとでね、ダイさんに「おまえ、あんとき、俺のアイス食ったよな。ほんまエエ奴やな」って笑われて……あの2人には色々騙されました(笑)いい経験でしたけどね。こういう大人もおるんやなーって。
激薬みたいな大人たちとの日々を経て、
ふたたび一人旅にもどった阪本さん。
タイの旅行会社でインド行きの旅券を購入し、
ついに到着したインド・デリー空港。
日本を経って数週間 ――
さらにここから2ヶ月半。
阪本青年の旅は、まだまだ続きます。
いまはバスと電車を乗り継いぎ、
インド各地を回っているようですが……
その途中……
なにやら白い煙が立ち込めていて……
サイババとビブーティ

インドで知り合った日本人は、自分の探しをしてる人が多かったんですよ。ぼくは目的もなく歩いてて、いつだったかな……どっかでたまたまサイババの話を聞いたんです。
知ってます? サイババ。
超能力者ですか? 手から煙出したりする人ですよね。
サイババは日本でいうと宗教の教祖みたいな人で、サイババ村っていうのがあるんです。そこ、むっちゃお金あって、サイババ空港とかサイババ病院とか、村全体が潤ってるんですよ。ホテルの部屋にもサイババの写真が飾られてて。
信者が並んでるんですか? サイババに会うために。
サイババに会える日が決まってて、週に1回だったか、月に何度かなんですけど……列は何列にもなるんです。ただ、はやい者勝ちではなくて、列の先頭だけが決まって、後から来た人は、好きな列に並ぶんです。で、先頭がそれぞれくじを引いて、もし当たりなら、列ごと入れるんです。
ていうことは、後から来ても、列の先頭の人が当たりくじを引けば、入れるんですか?
そういうシステムです。サイババ村に1泊した翌朝、お寺に並んだんです。カラスの糞が頭に落ちてきました(笑)
ついてるなあ!
それね、目の前にいたインド人の子供が見てて、「うんこ! うんこ!」ってむっちゃ笑うから、「君ね! これは日本では“うん”が付くっていって幸運な出来事だよ! 今日はいいことあるぞ!」って言ってやったんです(笑)そしたら、ぼくが並んでた列が2番を引いて。
すぐさま幸運が(笑)
同じ列の人たちが猛然と走るんで、ぼくもダッシュしたら、いつのまにか舞台みたいなところの手前におって。サイババ出てきたんですよ。
出現の日だった?!
はい。サイババの手元からビブーティっていう煙? 灰みたいなのが出るところとか、間近で見ました。足にも触れて。

そういえば、インドでは手づかみでカレー食べるって聞きますけど、ほんとですか?
そうですね。だいたいカレーみたいな料理なんですけど、チャイも沢山飲んだなあ。インド料理、なんでも食べました。
お腹は壊さなかったですか?
「水は飲むな」って言われて行ったんですよ。でも、店で出された水とかガバガバ飲んで、料理もふつうに食べてましたし、ある日、商店で卵を売ってもらって、食堂でご飯だけ頼んで、卵かけご飯にしたんです。美味しかったんですよ。なんか平気だったんですよね。
胃腸、強いですね。
食事といえば、どっかの街で、同じ年くらいのインド人と仲良くなって、何日間か遊んでたんですけど、別れの夜にパーティしてくれて。
その前、バイクの後ろに乗せられて、鶏を買いに行ったんです。お店の人に「どれがいい?」って聞かれたんで一羽選んだら、その場でポーンと首が刎ねられて。
インド人の友達に洞窟みたいなところに連れて行かれて、そこでみんなが鍋を作り始めたんです。鶏肉と野菜と、いろいろ入ってたんですけど、クツ、クツックツ……って、火がね、むちゃくちゃ弱くて。なかなか煮えなくって。
ぼくの電車の時間が迫ってて、食べたんです、鍋。インド人ですら「まだダメ! 危ない!」って騒いでたんですけど、もう時間がないし、せっかくだしと思って。
人生で最大の下痢をしました(笑)
その状態で電車に?
夜行に乗って、トゥクトゥクみたいな乗り物で移動して、インドで初めて個室を取って……ずっと死にそうでした(笑)ホテルなんてトイレから立てなかったです。
トゥクトゥクしてる場合じゃない!
正露丸は持ってましたけど、「飲んだら負け」だと思って、震えながらホテルの便器に座って……タージマハルの夜でした。
語呂がいい!

奇跡的な巡り会い
インドでは日本人や現地の人と仲良くなったり、写真を撮って歩いたり、ぶらぶらしてました。とは言っても、たった数ヶ月じゃ全土なんて回れないので、大きな都市を中心に転々とって感じで。一回りして、デリーに戻りました。

ニューデリーでね、雨の日でした。お腹が減ったんで店に入ったら、客がぼくしかおらんくて。しばらくしてから、スキンヘッドで髭がボーボーの人が入ってきたんです。厳つかったんですけど、きっと日本人やなと。そしたら「おまえ、日本人か?」って話しかけられたんですよ。「はい」って言ったら、一緒に飯を食うことになって。
二人でカレー食べたら、「おまえ関西弁やないかー」って言われたんです。「地元が大阪です」って答えたら、「俺も大阪や。大阪のどこや?」って聞かれて。
「箕面です」
「はあ? 俺も箕面や。箕面に住んでたら、箕面高校に行ってなアカンやろ」
「ぼく箕面高校です。33期です」
「俺は28期や」
その人、5個上の先輩やったんです。
ええええーー
先輩は大学を休学して、ブラジルでカポエラ道場に入門したり、サンバカーニバルのチームに入ってリオのカーニバルで踊ったり、世界を一周してるところでした。そのときは連絡先を交換して別れたんですけど、むちゃくちゃ面白い人だなーって、強烈な印象が残りました。
そんな偶然ってあるんですね……!
19歳になった阪本さん。
東南アジアを回り、
インド各地を巡り歩いて、約3ヶ月。
日本では出会えなかった人たちと知り合い、
トラブルやハプニングを体験したようです。
「旅は少年を大人にする」と聞きますが、
ご本人には変化の自覚があったのでしょうか……?
変化? ……なんも感じてなかったですね。日々ハプニングがあって、ふつうに楽しく過ごしてるだけでした。
バラナシっていう街はガンジス川が流れてるんですけど、ホテルに泊ろうとすると「川で泳がない」って約束せな、泊めてくれへんのですよ。「日本人は川に入るだけで菌にやられて、病院に運ばれるから」って。膝まで浸かるんでもダメや言われて。
じゃあ、阪本さんも眺めるだけで。
思いっきり泳ぎました(笑)
ものともしませんね(笑)
いま思うとアホなんですけど、マラリアとか狂犬病とかの注射、なんも打たないで行ったんですよ。
危ない! でも病気になってないんですよね。強いんだなあ。
人生最大の下痢だけですね(笑)
タージマハルの夜(笑)
一回ね、ガンジス川で泳いでたら、子供がぼくのところに来て、「泳いでるところ撮ってあげる」って言ってくれて。記念になるかなってカメラ渡して、ザバーって飛び込んでからハッとして。「カメラ! パクられる!」って。
ピンチ!
川から飛び出た瞬間、「パシャ!」って音がしました。その子、ちゃんとそこにおって、写真撮ってくれて(笑)

そのときのカメラは? 高校時代から写真を撮ってたんですか?
いやぁ、まったく。最初ね、インド旅行にもカメラ持っていかんつもりやったんです。荷物になるし。そしたらオヤジが、「せっかくインド行くんやし、撮るやろ」って。キャノンのコンパクトカメラくれて。
阪本さんは写真家。
カメラとは、
切っても切り離せない関係に見えます。
でも、インドに持っていったのは、
お父さんから渡されたコンパクトカメラ。
阪本さんが写真家を志したのはいつ?
どのようなきっかけが?
あんた、写真の才能ゼッタイある
オヤジ、高校は写真部やったんです。
親子鷹じゃないですか!
いやいや、部活ですから。でも一眼レフは持ってて、ぼくが小さい頃、いっしょに池の鴨を撮りに行ったりとか、友達を家に呼んで屋根にあがって、その様子をオヤジが撮ったりとか、遊んでたんです。
阪本さんの子供の頃の写真、たくさんありそうですね。
インドの旅行の前、バイトしてた居酒屋をやめるとき、仲間から餞別でフィルムをもらったんです。さらにオヤジにカメラを手渡されたし、最初は「撮らなアカンなあ」って感じで旅行にカメラを持って行ったんです。
インドから大阪に戻って、フィルムを現像する場所知らんくて、カメラ屋に出したら高いっていうイメージがあって……当時、同時現像※ってサービスがあったんですよ。
※同時現像:現像したネガとプリントした写真を同時に受け取れるサービス。
あー、写真屋だけじゃなくて、文房具店とかタバコ屋にも持ち込めたような……
そうそう。うちの近所のクリーニング屋も同時現像の受付やってて、そこに旅行で撮ったフィルム、20本、30本くらい持ち込みました。
2週間後くらいかな、取りに行って。19歳のガキが、まあまあの数のフィルムを現像に出して、受付のおばちゃんも気になったんでしょうね。「これなんなん?」って聞かれたんですよ。「東南アジアとインドを回ってきたんです」って答えたら、「写真、見してくれへん?」って言われて。クリーニングのカウンターで一緒に見たんです。

見終わったおばちゃん、真顔になって「あんた写真の才能、絶対にある。特に人物がいい」って言うんです。「写真の道に進みな」って。
そのときですかね、ぼくのなかに写真っていう方向性がぼんやりですけど、浮かんだの。
カメラマンを目指すきっかけが地元のクリーニング屋さんだったなんて、人生ってわからないですね。
あとね、インドから戻ってしばらくしてから、東京に遊びに行ったんです。ニューデリーで会った高校の先輩に連絡して、池袋のアパートに泊めてもらって。
インドから帰って、家にいてぶらぶらしてて……この先どうしようかなって話を先輩にしたら、「おまえは芸術系に行ったほうがいい。日芸はどうや?」って言われて。ぼくの地元のほうだと日芸って知られてないんですよ。ぼくも知らなくて、先輩に「日芸ってなんですか?」って聞いたんです。そしたら、大学や学部について、詳しく教えてくれて。たまたまバイト先に日芸の人がいたらしくて、学生の雰囲気とかも聞きました。

クリーニング屋のおばちゃんと先輩が、阪本さんを写真の道に進ませたんですね。
とはいってもね、結局2浪して、早稲田の文学部や日芸の文芸を受けて、受かったのが日芸の写真だったから、そこに進んだだけです(笑)
それも巡り合わせっていうか、運命みたいなものというか?(笑)
あのー……今回、高校で勉強も部活もうまくいかなくて、彼女にはフラれるしで、ぼんやりした不安感や喪失感みたいなのがあってインドに行って、まわりまわって写真にたどり着くっていう話だったんですけど、これで大丈夫ですか? まとまってます?
面白すぎて、はらわた千切れそうです!
なら、いいんですけど(笑)
